ほしの墓標

脳のリソースがいっぱいになったらここに書き込んで整理します。今は日記を書いています。

お鼻の死(2022年3月27日の日記)

・今日1日も楽しく過ごせました。松島と秋保に行きました。友達とはバイバイしました。

・花粉症で目と鼻が死んでいます。目は3回の洗眼と3回の点眼、お風呂で治りました。鼻はお風呂後も酷いので死にそうです、鼻うがいをしてお布団に入りました。鼻をとらせてください。

・鼻からサラサラの鼻水が無限に出てくる。鼻の周りは痛いのに、無限湧きなのでそのままにするわけにもいかず、拭いたりかんだりしなきゃいけない。そしてそのストレスから、思考の8〜9割が花粉症と症状を抑える方法についてで埋まっている。何も考えられません。今日考えたことや感じたことをお風呂の中で少し整理したんだけど、今は花粉のことしか頭に無いので何を考えたか忘れた。大切なのは湿度。暴風の後の晴天は人体に悪いということが分かった。最悪の春だ。

 

スマホゲーム(ソシャゲ)は現代の若者たちのタバコのようなものだね、という話を友達とした。

 私の周囲には、タバコを吸う人があまり居ない。父親は吸うけど、医師に止められて減量中らしい。地元の男友達も吸うらしいが1年に一度しか会わないので別に気にならない。大学の友達は全員吸わない。キャンパス内での喫煙は禁止されているのと、所属していたサークル内に喫煙文化が無かったので誰もタバコを知らないまま過ごしていた。

 ただ、1990年代後半生まれなのでゲームは身近な存在だった。スマホも全員持っている。ソシャゲをやる人は半分も居ないが、それだけ居ればソシャゲは話題のひとつになる。それでも、1人で完結することもできるし、作業の合間に息抜きとしてやることもできるし、ログイン日数やランキングに応じて報酬が貰えるのでやりがいもあるのだ。ソシャゲに刺激を求めるか、リラックスを求めるかは人によるが、タバコと同じように定期的に摂取することが可能で、お金をかける人も多くて、快楽報酬が得られるので現代の若者たちのタバコなのではないかという結論に至った。どうですか?

・私はメインのソシャゲはひとつ、サブのソシャゲはみっつある。メインのソシャゲは、月額課金をしてガチャ用の石(ガチャガチャを引くために必要な通貨)を溜めたり、デイリーボーナスを貰うために毎日課される課題をコツコツとやっている。サブのソシャゲは、ゲームを起動だけさせてログインボーナスを貰い、あとは気が向いたらあそぶ。好きなキャラクターが出るイベントや音楽ゲームは遊ぶが、ゲーム自体を毎日はやらない。毎日大体30分弱はソシャゲに使う。

Twitterをやっているとソシャゲの話題がひとつの話題として確立されているように見えるが、現実ではあまり話は出来ないのも事実だ。私はソシャゲの話をする現実の友達は1人か2人程度しかいない。しかも大体はガチャのキャラクターを手に入れたかどうかで、イベント内容自体について話し合えるほどの友人はいない。

SNS上だと、ソシャゲひとつについて考察を深めたり新たな物語を創作したりする人が多いと感じる。実際のイベントで、自分の創作物を出す人が大勢いるからコミックマーケットは年に二回も開催されるのだ。立派な大衆文化の一つになっている。ランキング制のゲームではランキングを競い合った結果をSNS上に載せる人も居るし、ガチャがあるゲームでは手に入れた高レアキャラの画面写真をSNS上に載せる人も居る。かくいう私も、現実で話す機会が少ないのでTwitterに画面写真を載せることもある。自分の趣味の一つになっているのは確かだが、まだ恥ずかしさや認知度の低さもあって公言できていないだけなのだ。いつかは映画のように大々的に公言できる文化になってほしい。タバコ休憩のようにソシャゲ休憩が出来たら流石にやばいと思うけど。

 

・なんか花粉症も治ってきた。

 

・今日の写真が全然無いけど、今日の海も綺麗だった。松島湾は島が多いからとても穏やかに見えるし、津波の到達地点もあまり広範囲では無かった。他の太平洋沿岸部は防波堤が建設されているので、沿岸部をドライブしてもほとんど海は見えない。が、松島は津波の被害が比較的少なかったこともあってか、防波堤は目にはつかなくて、海や島々が道路からも見渡せた。ドライブスポットにも良い場所だった。

宮城県ではもともと発令されていないが、蔓延防止策が全国的に解除されてから初めての週末ということもあってか松島には観光客が多かった。それでも最盛期に比べたら少ないのだろうが、去年の秋と比べたら開いているお店は多いし、歩いている人も多かった。体感では8倍は居た。松島湾内の遊覧船も400人乗りの船に100人定員制を取っているから空いているらしい。行きたい人は行くと楽しい。景色も綺麗。

 

・ふらりと立ち寄ったコーヒー屋さんで買ったドリップコーヒーが美味しかった。カッピングという、専門家が味の要素を言葉に表して豆を評価する文化があるらしいのだが、そこにフルーツ名だけが載っていたり、苦いコーヒーを表す言葉にビターチョコが選ばれていたりと面白かった。普段はコーヒーは苦くて飲めないが、最もフルーティーなコーヒーを飲んだらあっさりしていて苦味は少なく、さらさら飲めた。店主さんは豆を引いた後と、淹れた直後の香りを嗅がせてくれて、それにも苦味は無かった。「フレーバーティーみたいな香りなんですよ」と仰っていたが、そこまでの華やかさは感じられなくても普段嗅ぐコーヒーの濃さではないことは確かで、かすかにコーヒーぽくない甘みも香りにあったからそのことを指していたのだろう。面白いな〜。苦手なものも、それを好きな人がこの世にいて広めようとしてくれるから出会いが生まれて新しい扉が開ける。ありがたいし、この先も生きていくのだから退屈しないようにそういう出会いを大切にしていきたい。

 

・実家の猫が一番かわいいね。