ほしの墓標

脳のリソースがいっぱいになったらここに書き込んで整理します。今は日記を書いています。

必要不要の不要側(2022年4月4日の日記)

・叔母の家に行った。

 色々と良くしてもらったし、猫とも遊んだので要約としては楽しかったのだが、もやもやすることもあった。

・叔母との話の中で「これからどうするの?」「なにか資格取ったら?」「なにもしない子はうちにもいらないな〜」などと言われ、その場ではにこにこ応対した。が、後々それらの問いについて考え始めてしまい、くそニートの私は(もう北上川に落ちてみよっかな〜)と思うなどした。

・正直、休職した時点で仕事をどうするかなんてほぼ決まっていたのだ。私は辞めようと思っていたのだから、その時期が少し早まったくらいでは私はどうも思わない。なので人に聞かれても流したり濁したりすることで生きてきたのだが、聞かれることで心地良くなるような質問でもないので聞かれるたびに嫌な気持ちになる。特に、今日は母親が「この子、うちに居ても何もしないのよ」「この家(叔母の家)に置いていこうかしら」といった話題を出していたので、叔母も話題にのって「何もしない子はうちにもいらないな〜」と言っていただけなのだ。勝手にこの世に産んだだけのくせに、なんで「いらない」と言えるのかは分からないが、要らないのなら存在している理由もないなと思った。必要とされるのは私の存在理由の根幹にある重要事項なのだ。

 

・必要とされない人生なら生きている意味がない。必要とされてないのなら、居なくたっていいじゃないか。必要とされるから私は何かを頑張ってきたし、必要とされていたから仕事を始めて、必要とされるうちはやれるだけ仕事をした。それこそ真面目すぎると言われるくらい真面目に、必要とされるうちは頑張っていた。でもいつの間にか疲れていたので、どうにか仕事を続けられるように上司に相談したら、私の仕事の代わりはいるということを上司は話して私の仕事の負担は少しだけ減った。そこから、私が頑張る意味は無くなって、肩の荷が降りると同時に必要とされていないことに気づいてしまった。結局、その上司は私のことを一度も必要だと言わなかった。必要とされるから働いてきた私にとって、仕事を辞める決定打となったのはその上司の存在が大きかった。頑張っていても「頑張ってるね」などは言われない、「早く帰ってね」だけ言われるくらいなら頑張る意味もない。必要とされたい私は誰にでも必要とされる仕事を選んだのに、たった1人の上司が私を必要としないから辞めるのも馬鹿な話だ。実際、接してきた顧客は私のことをずっと心配してくれる人もいたらしい。その人にすらお別れを言わないまま辞めてしまった。支えあってきた同期にも碌な挨拶もしないで辞めた。多分必要とはされていただろうけど、みんな口に出さなかった。私が何かを続けるためには、言葉と行動で強く"私が必要であること"を示してもらわないとできない。

・叔母に「資格でも取ったら?」と言われたが、特に取りたい資格も無いので適当に流していた。が、叔母は登録販売者になるために今は研修中だそうで、研修は2年間行わなければならないのだそうだ。登録販売者の試験の応募資格にこれまでは"2年以上の実務経験"が含まれていたが、現在は廃止されている。資格だけであれば独学でも取得可能ということだ。叔母より上に立てるかなと思って資格取得に一瞬は前向きになったが、結局は資格を持っていてもその資格を使って働けるのは資格取得後にでも2年間の研修経験を積んでからとなる。今度本屋に行って見てから決めるが、別に取らなくてもいいかなと思い始めた。人より上に立って自分の優位性を自分で認識しやすく出来るのならばなんでも良いのだ。そういう考えを持つ自分に嫌悪感を持つ。また自分の存在を嫌ってしまった。

 

・とにかく誰かに必要とされたい。必要とされているはずの仕事に就いたのに、必要とされないから辞めたのだ。もうどこでも必要とされないんじゃないか。たとえ家族だって、友人だって、私がいなくなっても他のなにかで私のいた場所を埋めるだろう。そうやって人は生きていて、社会は回っているのだ。自分が特別だとみんな思っているが、みんなは特別でもなんでもないのと同じように、自分も特別なんかではないのだ。24才にもなって、未だにこんなことばかり考えていて嫌になる。

 

・あそんできた猫の写真

f:id:hoshikusa0514:20220404160506j:image