ほしの墓標

脳のリソースがいっぱいになったらここに書き込んで整理します。今は日記を書いています。

寝た(2022年3月11日)

・たくさん寝た。12+5時間寝た。

・薄い掛け布団1枚でも寒くない季節になった。昼間はむしろ暑いくらい。

・先週末は筋肉痛で辛かったからずっと寝ている感じだったが、今週末はそれほど辛くないけど回復のために寝るという週末になりそうだ。人から見ればどちらも同じだが、疲労度は一段階軽くなったので私にとっては進歩だ。筋肉痛のことをあまり嫌いじゃなくなってきた。

・今までは筋肉を伸ばすストレッチの良さも運動の疲労感も心地よくなかったので、それらを好き好んで行う人が不思議だった。ただ、たまに好きに動くのは楽しかったので、思いついた時にテキトーなダンスをしたり公園の遊具で遊んではしゃいだりしていた。今は楽しそうなことがあれば体を動かすことも厭わないようになってきたので、運動への抵抗感がだいぶ減った気がするし、気持ちよさも分かってきた。体育から離れれば離れるほど楽しいし気持ち良い気がする。体育が何のためにあったのかは未だに分からないけど、私を運動嫌いにさせたのは間違いなく体育だったと思う。

・女子にしては身長が高かった(小6で162cm)ので手足や筋肉の使い方をもっと教えてくれれば運動は出来たはずなのだが、自分の体を持て余していて運動が全く出来なかった。今でも運動時の膝の使い方が下手くそなので、長距離運動で膝が痛くなる。バスケのブロックや長縄の回し方なんかは背が高いだけでも出来たから良かったけど、跳び箱ですら上手く出来なかった。体育では一人一人の感覚に全てが委ねられているので勘がいい人しか上手く出来ないようになっていた気がするし、そういう人しか体育教師にならないから体系的に勉強できない科目No. 1だったな。学校教育はつくづく上手くいかないものだと思う。

 

・学校教育で己を育ててもらったという感覚が一切ないので学校のことは今でも嫌いだ。勉強も一律の教え方しかしないから、(私は勉強に向いている方だったので困らなかったが)他の同級生が苦労しているのを見て本当に可哀想だなと思っていた。

・私は小学生の頃から遅刻ばかりしていたのだが、遅刻することを怒る教師はいても、なぜ遅刻をするのかや遅刻しない方法を教えてくれる教師はいなかった。頭ごなしに怒られることが一番理不尽だと思っている。学校教育の中で教師に立ち向かうことは一文の徳にもならないので行わなかったが、そこらへんの道端で同じことが起こったら全部無視するだろうな。

・人の人生に関わって導いてやろうという考えがまず嫌いだ。

 

・今日は暖かいから寝巻きを半ズボンにした。もう春だな。

 

TwitterのUIが変わった!最悪だ〜。

 これまではデフォルトのホーム画面には、自分がフォローしているアカウントの呟き+少量の広告しかなかった。これが普通だった。広告も導入当初は反発もあったが、Twitter社のためになるのだから仕方ないとは思った。

 今回はデフォルトのホーム画面に、自分がいいねしたツイート関係の知らないツイート+フォロワーのいいねしたツイートがメインで流れるようになった。つまりは、フォローしているアカウントの呟きよりは知らないアカウントの呟きの方が多く目につく。知りたい情報が出て来なくなった。なんで家の中でリラックスしている時に街の中の喧騒を見させられているんだという気分になる。それくらい情報過多になっている。

・数多あるSNSの中からTwitterを選んで使っている人は、他のSNSよりかは選択して情報を得ることが出来る点を気に入って使っている気がする。今回のアップデートは、その前提を超える、もしくは変えるための改変に見える。私は気に入らないのでフォロー中アカウントのリストを作成して、元々のタイムラインを再現出来るようにしたが、他のユーザーはどうするのだろうか。Twitter社は今後どうしたいのだろうか。

・ネットの進化を未だに目にすることができて面白いな。ニコニコ動画の衰退のようにTwitterも衰退していくのだろうか。

 

・3月11日の文字を目にすると否応なしに思い起こされる出来事から11年目に入る。ツイッターでもそれについての話題を見ることがかなり減った。

・当時からツイッターをしていたのでツイッター上での扱われ方はずっと見てきたことになる。かなり変わったなと思う。津波の映像を見る回数は格段に減ったし、被災地の声を届ける人も減った。被災地が被災地として扱われることを嫌い、復興への道だけを見つめていたこともあるかもしれない。

・私個人としても、祖母の家が元の場所に新築されたことで一区切りついた気はしているが、10年という月日は人にとってかなり長いものだったと痛感した。10年経たないと家すら建てられないってどういうことなんだろう。この辺りの情報はほとんど放送されないし、報道もされない。未だに嵩上げ工事をしている風景が三陸沿岸部の普通になっている。海の見えない沿岸部ばかりなのに、まだまだ先も見えないままだ。

・県外から来た同級生にはなんとなく「10年経ったしね」という感覚がある。私はずっと県内に住んでいるので、10年経ったからなんなんだという気持ちがあるが、部外者から見ると他の災害が絶えない中で一つの災害について考え続けたり、支援を継続したりすることは持続可能なことではないのだろう。

・今後ますます世間の関心は無くなっていくだけだと思うが、私は県内に住んでいる人間として必ずこの日にはあの出来事について考えるべきだろうな。