ほしの墓標

脳のリソースがいっぱいになったらここに書き込んで整理します。今は日記を書いています。

日記15(2022年3月5日)

・16時まで寝ていた

 特にやりたいことも無いしやるべきことも無いし、筋肉痛も相まっていつも通り動きたくなかったので膀胱の限界が来るまでずっと動かずにいたと言うのが正しい。そういう人間も居る

 

・脳汁がドバドバ出るような楽しいことがしたい。16時間も横たわっているような人間だって、いやそんな人間だからこそ楽しいことがしたい。

・例えば、海外に行って異文化に触れることやディズニーランドのお土産屋さんでその目新しさに圧倒されるとかそのようなことをしたい。前者は無理でも後者は出来るかな〜と考えていたのだが、今のディズニーランドのお土産屋さんは商品が枯渇しているらしい。あと、ファストパスがネットで取れるので入園したら好きなアトラクションの下へ走らなくて良いらしい。どっちもびっくりだ。カチューシャが園内で全然売られていないことは聞いても然程びっくりしなかったけれど、この2つにはびっくりした。ランドでファストパスが取れるのは美女と野獣ベイマックスだけ、というのもびっくりした。みんな知ってた?ディズニーランドの入園料が6,700円だった頃に戻りたいね。2015年で6,900円→2021年で9,400円らしい。値上げ怖いな。学生時代は背伸びしたら行けるところだったのに、今ややっとの思いで行く場所になってしまった…。

 

・海外にも、ディズニーランドにも簡単には行けないので、ベッドの上で創作の怖い話を読んでいた。私が何もしたくない時の一番の娯楽は恐怖の疑似体験だ。最も手軽に生と死の狭間を体験できるし、お金も手間もかからない。ホラー映画のあらすじを読むだけでも良い。一番良いのは創作のホラー小説だ。怖くなければ怖いやつを探して読めば良いし、怖すぎればもう少し怖くない話を探せば良い。自分で脳汁の分泌量を調節できるから良い。あと、創作であることが前提なのは、ほん怖だと本当に起こりそうで怖いからだ。とことんチキンにも優しいのが良いな。

 

精神疾患を抱えている人がたまに呟く優しい職場の話を見るだけで自分の職場のことを思い出して嫌になるから、自分の器量の無さに絶望とする。辞職希望を伝えたいんだが、この世の中であってもメールで伝えるのは筋が通ってないと聞いたのでずっと嫌だ嫌だ嫌だー!と思っている。

 

・髪を洗っている時の姿勢は人によると思うのだが、私は俯きながら行っている。頭だけを下に向けているような状態だ。それが今日は仇となった。シャンプー前は普通に頭を支えることが出来ていた首が、急に仕事を放棄した。頭を支えることがかなり辛くなったのだ。まさに居ても立っても居られない状態になった。

 2日前にトランポリンで初めて跳んで以来、首や肩周りの筋肉が筋肉痛なのだが、特に気にせず、昨日もジムで小さいトランポリンでレッスンを受けるなどしていた。常に首周りが筋肉痛な状態が今日で3日続いている。それが、シャンプー中の姿勢がトリガーとなってここまで悪化するとは思わなかった。仕事中に腰を痛めた先輩から「腰は大切にした方がいい」とよく聞かされていたが、首も同じだった。

・枕だけで頭を支えると首が辛いので、首の下にも支えを置いている。寝ていても辛いので、首用のコルセットが欲しいくらいだ。助けてほしい。

 

・オモコロチャンネルの動画を初めて観た。

https://youtu.be/n1L6RnhU_7c

 キャンプの最速RTAをしてみよう!という動画だった。なぜキャンプのRTAをするのかは分からないが、面白かったので暇があれば観てみた方が良い。ライターの方を知っていると、動画を観た時により人間性を理解しやすくて良かった。

・私はオモコロの読者だが、オモコロでしか見れない側面とオモコロチャンネルでしか見れない側面があることを痛感した。やはりネット上の一面は、添削した上で出している側面なので取り繕われている。動画では、編集後であるとはいえ、取り繕えない一面が垣間見えている。ARuFaは面白さに全振りしているので合間にボケているし、恐山は工程管理は出来ても実働には向いていないし、永田はしっかりしているが故に裏で働く役割を担ってしまう。

・私はよく恣意的に切り取られた一面だけを見て人を好きになるが、多面的に見た時になんか違うなと思うことがあるので、オモコロ→オモコロチャンネルを観たのはその権化とでも言うべきだった。つまりは誰にもガチ恋は出来ないと分かった。一読者でいようね〜。

 

・余談

YouTubeで30分の動画を観た後になって、30分を浪費したな〜と思うことってありませんか?

・私はよくあります。なので1日のうちで一回もYouTubeを開かないこともよくある。ドラマや映画も同じ理由で避けがちなので、映像作品の鑑賞が趣味の人とは壊滅的に話が合わない。

 小説を読み終わった後に読んでいた時間は自分が計算しない限り可視化されないのに対して、映像作品は観る前から可視化されていて観た後にもその時間が目に入ることが多い気がする。小説の目安の読了時間はweb小説だとたまに記載されているけれど、店頭陳列の小説にはほぼ無い。その一方で、映画は映画館のスケジュールにも、DVDにも上映時間が書いてある。なので、小説などよりも、映像作品を観た時間について、その時間が経過した実感が湧きやすい。

 だから私は可視化された過ぎ去った時間に対しての感情を抱くし、観る前から抵抗感を抱えるのだろう。これってあまり共感されないんだけど、みんなアニメとかドラマを観る時に時間を考えないからなのだろうか。とても気になる。